自分史上最小

自分にとってのミニマリズムを求めて

理想の老後とミニマリズム

今週のお題「理想の老後」

 

 

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ここ数年で身近な人たちとの別れが増え、老後について考える機会は夫婦間でも増えたように思います。

 

私にとっての理想の老後は、常に平凡でいるということ。

自分の世話は自分でできる、ということ。

やっておけばよかったと(老後に)後悔していたくない、ということ。

 

今はこの3つが頭に浮かびました。

 

 

平凡でいる、ということの難しさは日々感じています。

人それぞれ思い描く平凡の在り方は違いますが、

私にとっての平凡は、今がずっと永続的に繰り返されていくことです。

 

夫婦で「おはよう」「おやすみ」と話せること

毎日ご飯を食べられるということ

植物やいきものの世話をすること

季節の変化を感じること

食後にコーヒーを飲むこと

野球を見たり、ピアノを弾いたり・・・

 

どれも今の自分にとっては当たり前のことで、特別感はありません。

その当たり前の繰り返しがこれから先も続いて欲しいと思います。

 

「当たり前」=「平凡」と結びつけるには安易な気がしますが。

これが私の「今」だと実感しながら年を重ねていけたら・・・と思っています。

やりたいことや感じ方、行動は年とともに変わっていくでしょうし、

年をとれば出来ることと出来ないことも当然変化していくでしょう。

 

その変化も、今が繰り返されていく中で起こる変化の一つだと思います。

 

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自分の世話は自分でする、ということと、

(老後に)後悔していたくないということの理由は私の祖母の存在が大きく関わっています。

 

両親が忙しかったために祖母に育てられてきた私ですが、その祖母を亡くして7年も経つのに、未だに「おばあちゃんに会いたい」と思ってふいに涙が出てくることがあります。

忙しい両親に対しても反抗期はありましたが、それ以上に世話をかけた祖母にはついきつくあたっていたのを自覚していましたし、素直になれませんでした。

そしてそれが今の私の後悔です。

 

もっと優しくしていれば

もっと一緒にご飯を食べていれば

最後に何を話したっけ?

結婚式が見たいって言ってたな

どうしてあの時

 

そんな気持ちが未だに湧き上がります。

 

祖母の生き様は壮絶でした。

戦争を経験し、早くに夫(祖父)を亡くし、病になり・・・

 

持病の膠原病を発症し病院通いを何十年も続けてきましたが、

死ぬ直前まで、絶対に家族に迷惑をかけない女性でした。

 

どんな些細な出費も(私がねだった小遣いも)細かく手書きで家計簿をつけていたり、

毎朝必ず亡くなった祖父の仏壇に手を合わせ必ずお経をあげたり、

普段使う化粧品などはもちろん、化粧品売り場のカウンターでもらった口紅のサンプルなどでさえ綺麗になくなるまできっちり口紅筆で使い切ったり、

着る機会の無くなった着物や着古した洋服は自分でリメイクをしたり、

髪は自分で切って自分で染めたり、

死んだ時や入院した時どこに何の書類が入っているからと生前整理していたり・・・

 

今振り返れば、祖母は私がミニマリズムを目指す上でお手本そのもののような人でした。

祖母がミニマリストだったわけではないですが、通じるものを感じていました。

私自身も、老後もし私が夫より先に何かあったとしたら、

迷惑をかけるほどの物をたくさん遺して死にたくはないですし、

生活コストも抑えておきたいです。

一つのものを長く大切に使いたいですし、そんな日常を大切に過ごしていきたい。

 

祖母も、私や家族のことを思って行動していたように、

私にも夫という家族がいるからこそ祖母の行動がわかるようになりました。

一緒に暮らしていた当時の私はそういった祖母の小さな積み重ねを気にも留めなかった悪孫だったと思いますが・・・

 

命日が来る度に母と祖母について話す時、

いつも決まって「立派な人だったね」とお互いに誇りに思っています。

 

 

病に苦しみ、大切な人を早くに失った祖母は、孤独だったかもしれません。

幸せな老後だったのかどうか、それは今となっては分かりません。

 

そんな祖母の口癖が「自分の後始末は自分で」でした。

その姿勢をずっと貫いてきた祖母の老後の生き方には学ぶべきものがあると感じています。

 

その人の生き様は死んだ後に決まるとどこかで読みました。

それは残された人が先立つ人の思い出を語るからだと思います。

私自身が目指す平凡な老後が、私の死後、全く違う悪い言葉で語られることの無いように、

老後もミニマルな暮らしを送っていた祖母を偲んで今日も平凡な毎日を過ごしたいと感じています。